make no statement

音楽や映画、本などの感想や、日々思うことなどをゆるく。

時間のお話



新生活が始まるこの春。新社会人になられる方も多いとは思います。僕も何年か前は慣れないスーツに袖を通して、シャツの一番上ボタンもとめていたザ・フレッシュマンであったわけです。
それまで組織の中で働く、という行為をそれほど経験したことが無いために、もう右往左往。何すれば良いのか分からず、その場にいたたまれない。なんて経験。まあその後徐々に仕事が振られていくわけですが、そこで初っ端先輩にガツンと言われた一つが時間の「使い方」。
自分の仕事が遅れると作業全般が遅れていく、なんて事が肌身で分かっていない俺22〜23歳(当時)。
或る一つの案件があり、それにはケツが決まっている、と。そのリミットから逆算して、役割分担を決めて、各個人の作業を行っていく、てな仕組みを考える想像力も無く怒られたり。
まあ、自分のお話ですが社会人になって過ごしていくと「時間」ってものがどれだけ重要っかって事に気付く。8時30分起床⇒10時前出社⇒24時帰宅⇒食事・テレビ・漫画・音楽・本・電話・メール・インターネット・自慰なんてやっていると27時〜28時になってしまうわけで。どう時間をやりくりせりゃいいんかい!?ってのが基本のサラリーマンスタイルでサヴァイブしてた半年前まで。


書きたいのはそんな事ではなくて、「いいとも」でタモリが言ってた「時間」の話。「いいとも」ミドルスクーラー加藤紀子(ミドル90年代「いいとも」の木曜日の鶴瓶加藤紀子東野幸治がヤバかった!皆が鶴瓶を弄ぶ)がネパールの高所に旅行へ行ったが、空気が薄いためか、行動時間が余計掛かる(平地では1分100m歩けるが、高所では1分で50mしか歩けない、とかそんな感じ)、なんて話からタモさんのトリビアへ。
曰く、それは老人も一緒だ、と。例えば若者が1時間でできる作業は老人には3時間掛かってしまう。しかし老人は1時間でやっているつもり。各機能が鈍化してしまっている為、行動時間が余計掛かるが、本人的には1時間でやったといわんばかりのスタイル。つまりは老人の感じる時間と実際流れている時間は違うってこと。
Mr.ジーニアスことアインシュタインレペゼン"相対性理論"を持ち出すことが出来るだけの学を僕は持ち合わせていませんが、要は人によって、環境によって時間の流れは変わる。


フレッシュマン(この言葉も死語の気はあるが)の方でこのブログを読まれている方がいらっしゃれば、こんな戯言も頭の片隅に入れておいてください。