make no statement

音楽や映画、本などの感想や、日々思うことなどをゆるく。

3.11を、今一度想う



3月13日(日)にアップしたエントリを再掲する。3月11日(金)の深夜に帰宅した僕は、土日をじっと家で過ごし、月曜は電車が動かなかったため、会社を休み、自宅待機した。

↓を読み返すと、リアルにそのときの情景が脳裏をよぎる。「帰宅支援ステーション」の高校の大画面テレビではじめて見た被災地の状況(津波によって壊滅的になった市街地)が、今でも頭にこびりついている。

[ライフログ]3.11東日本大震災
金曜日の地震から二日経った。まさかこんなことが起きるとは思わなかった(みんなだってそう思っただろうけど)。記録のため、当日のことを振り返ってみたいと思う。

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■2011年3月11日(金)/大手町(東京)→自宅(埼玉)

地震発生から帰宅決断まで】

朝、通常出社。14時から社内にてミーティング。最近ずっと満足した睡眠時間が確保できていないので、ミーティング中は正直半分意識が飛んでいた。活発な意見交換が行われているなあ、と頭の片隅に思いながら、揺れを感じる。最初は普通の地震かと思った。けど、30秒くらいたっても、揺れがおさまらず、それどころか揺れる勢いが増していく。ミーティングルーム内には7人ほどいたが、どうしていいのか分からず、とりあえずドアを開け、机の下にもぐりこむ。

すぐデスクに戻ると、フロアは異様な雰囲気。案の定、僕の机の上に乱雑に置かれた書類は、揺れで散らばっていた。ネットでニュースを見ると、大きな地震だったことが分かる。フロアにいる人ほとんどが浮き足立っている。家族と連絡を取ろうとしても、携帯電話は通じない。メールもできない。僕は、ドコモとソフトバンクiPhone)の二つのモバイルを持っているが、両方とも駄目だ。まあ、しょうがいない、と思う。

お昼を食べていなかったため、空腹。近くのコンビニで弁当を買って食す。この日は17時から渋谷で取材。先立って、同僚も16時から六本木で取材。その同僚氏いわく、地下鉄に乗ろうとしたところ、全く動いていないとのことで、踵を返してきた。取材先とも連絡が取れないらしい。タクシーに乗ろうとしても全然つかまえられないとのこと。

僕の取材先も、大手企業だったため、急遽キャンセルするのはマズいかな、と考える。僕のPCは、ネットは見れるけど、メールソフトは立ち上がらない、という状況。メール環境が生きている後輩に頼み、取材先企業へ「一応、今から向かうけど、遅れるかもしれない」という趣旨のメールを作成し、送ってもらう。取材先から何かしら返信があった場合は、メールと電話、それに念のため、TwitterのDMとFacebookのメッセージも送ってほしいとお願いしておく。

16時頃、カメラマンさんと共に、取材へ向かう。まずはタクシー乗り場へ。10人以上、待っている人がいる。当分、タクシーも来ないだろうと予測し、念のため、地下鉄の駅へ。駅係員が「津波の恐れがあるため、ホームに入らないでください」といった趣旨のアナウンスをしていた(ように聞こえた)。ホームが液状化しているのか。。。と不安に思いつつ、地上へ。

そして次なる手段、バスを探す。しかし、うまい具合に渋谷へ行くバスなんてそうそうない。会社のある大手町から、日比谷通りを南下しつつ、バス停を探す。

道を歩くが、人の往来が激しい。途中、ガラスが割れ、「KEEP OUT」のテープが。そういうのを見てしまうと一気にびびってしまう。皇居近くも大勢の人が。何か新しい祭事が行われているのかと思う。空を見上げると異様な雲。雲が低いというか、台風が近づく直前のような存在感のある雲。ポツポツと雨も降ってくる。とにかく気持ちが悪い雲。気温はそれほど低くない。

携帯のメール(ドコモ)が着信。「取材先から連絡あり、今日は取材なし」とのメール内容。ホッとして、日比谷周辺から大手町へと帰社する。雲がちょっと晴れつつ、街の往来も一旦落ち着いたかのように見えてくる。有楽町あたりでJRの路線が見えたが、電気が点いておらず、中途半端な位置に停車している。電車に乗っている途中に地震に遭わなくてよかったと思う。カメラマンさんがタマフルリスナーだったりして、今回の状況と「その街のこども」を照らし合わせながら、歩く。

帰社後、ネットで地震情報をチェックする。ますます被害が大きくなってきていることを知る。家族から安全だったとのメール(ドコモ)はきたが、返信ができない。ヤフーメールを使ってみたが、送信できず、失敗。会社のメールも駄目、外線も使えない。携帯ももちろん駄目。しかし、TwitterFacebookは使える。

チームメンバーの一人が取材中に地震に遭遇。池袋で立ち往生中とのこと。やはり携帯が使えないので、Twitterで連絡を取り合い、無事を確認。こういうときに、Twitterの強さを思い知る。(社内では、外出している人たちと、Twitterで安全確認を取り合っている人が多かった)

17時を過ぎると、携帯(ドコモ)のメールが一瞬使えるようになり、家族の無事を確認できる。会社のメールも復活し、少し胸をなでおろす。でも、外線+携帯の通話は不能。日も暮れてきて、さて、帰りの手段をどうするか、と思案しはじめる。実家と連絡を取り合った結果、車を出してくれるとのこと。


【そううまくはいかない】

実家からの車が19時半頃に出発したの連絡を受ける。実家は港区なので、大手町までかかっても1時間くらいかと予測。車で僕のピックアップし、僕の自宅まで送ってくれる算段。僕の自宅方面に住んでいる同僚夫婦も一緒に乗る予定。しかし、なかなか車が来ない。21時を過ぎても、日比谷とのこと。10分間で、車1台分しか進まないとの連絡。そうこうしているうちに半蔵門線が復旧したとの情報。家族の好意はありがたかったが、いつ帰れるか分からなくなりそうなので、復旧した半蔵門線に、同僚夫婦と一緒に、乗ることにする。
(実家の車は、結局帰宅したのは25時を過ぎたらしい。多謝)

半蔵門線へと進む中で、明らかに酔っぱらったオヤジが「麻雀やりましょうよ!」と仲間に声を掛けていたり、途方に暮れてワンカップ片手にマンガを読みながら寝そべっているオヤジがいる。そういえば、帰るのを早々に諦め、酒盛りしようと意気込んでいる社員もオフィスにはいた。


【ナイトウォーク〜迫力のラーメン】

半蔵門線は、それほど混んでおらず、すわれた。終点、押上に到着。改札を抜け、地上に出るとスカイツリーが。道はガッチガチ。もちろん、タクシーはない。iPhone羅針盤に、とにかく歩くことにする。

15分くらい歩くと、高校があり、「帰宅支援ステーション」となっていた。明るさに嬉しくなり、立ち寄って、電話を借りた。家族へと電話。安心する。ステーションにいた方は、おそらく高校の教師。「帰れないので、詰めているんです」と。本当に感謝する。

またiPhone羅針盤にして歩き続ける。取材の予定だったので、足下はカチカチの革靴。歩きづらい。けど、そんなことも言ってられず、ひたすら歩く。途中、壁面が崩れたビルを見て、驚いたりする。マンモス団地を超え、荒川を超える。

とにかく非日常の連続。テンションがいやがおうにも高くなる。

2時間ほど歩き、皆、くたくた。24時を過ぎ、目に入ったラーメン屋に入店。しかしそこが独特な店で、まず店主の愛想が異様に悪い。店内が変な緊張感で満ちている。そして、ラーメン自体のボリュームが半端ない。極太麺が僕らを襲う。なんとか食し、おかしな疲労感を抱きながら、また、歩き出す。


【綾瀬の奇跡】

口数が減っていき、疲労が濃くなってくる。道もだいぶ空いてきた。そろそろタクシーが拾えるんじゃないかと立ち寄った綾瀬駅。偶然にも眼前でお客さんを降ろしているタクシーを発見!駆け寄って、乗車する。そして、無事に帰路へ。結局、歩いた時間は3時間くらい。帰宅したのは26時頃。タクシーに乗れたのは、本当に運が良かった。