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崩壊したヒエラルキーとダウンタウンの台頭




『下克上』とは、下の者が上の者をしのぎ倒すこと。
一般的にこの言葉から連想される人物と言えば織田信長か。最近で言うと、経済界における『下克上』としてホリエモンも取りざたされた。
『下克上』には伝統的権威・価値体系を否定し、力によって権力を奪い取る、という意味もある。

1990年代初頭のバブル崩壊によって、この国における経済成長は足踏みすることとなった。これによって企業は、強いものが残り、弱いものは消えていくか、強いものに吸収されていくこととなる。加えて、外資系企業の日本参入も一段と激しくなっていく。いわゆる経済のグローバル化が、景気低迷によって一層加速した。
それまでの日本企業は「年功序列」「終身雇用」「護送船団」という単語に代表されるように、身内を守り、競争よりも協調を選んできた。しかし、経済のクローバル化に飲み込まれた日本企業は嫌がおうにも、「競争社会」「実力主義」の渦の中に身を投じざるを終えなくなってしまった。


そんな混沌とした世情の日本にあらわれたお笑い界のスターがいる。
それが、ダウンタウンである。

ともに1963年生まれで、同級生の浜田雅功松本人志で結成されたダウンタウンは漫才の舞台から、地元関西ローカルのバラエティ番組を経て、東京進出。多くのレギュラー番組を持ち、バラエティだけにとどまらず、ドラマ・音楽・執筆・映画とその才能を発揮している。

僕が彼らを最初に意識したのは「夢で逢えたら」「ガキの使い」でその知名度が一気に上がった91〜92年、中学生の頃だったと記憶している。すこし背伸びをした奴らが深夜番組やラジオの魅力を得意げに語っている、そんな時代である。重たい目をこすりながら、深夜、彼らの番組を見続けていた。
丁度「ガキの使い」が23時台に、フジテレビでは「ごっつええ感じ」が2時間枠で放送され始めた時、彼らはよく芸能界の大御所と組まされることが多かったように思う。和田アキ子美川憲一高橋英樹・・・等々。人気を二分していたウッチャンナンチャンとは違い、ダウンタウンには"キツさ"があった。見ていてハラハラする松本の毒舌。そして芸能界の大御所の額もひっぱたく浜田のツッコミ。
ヒエラルキーが崩壊し、実力社会への転向を余儀なくされた90年代前半の日本社会。同時代的にあらわれた才能・ダウンタウンは、それを示唆する存在であった。
業界の先輩に立ち向かい視聴者に緊張を強いる、当時のダウンタウンの芸風は「下克上」的であり、旧態依然とした日本社会への警鐘であったのかもしれない。