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音楽や映画、本などの感想や、日々思うことなどをゆるく。

[日々]「宝島」文化への憧れ




フジテレビ夕方のドラマ再放送枠(関東)において、現在放映中なのが「ロング・ラブレター 漂流教室」。言わずもがな楳図かずおの名作漫画「漂流教室」のドラマ化。主演は常盤貴子窪塚洋介。漫画版とは違い、大人が主人公なので、主演の二人の恋愛感情も描かれている作品だ。この作品のロケ先、つまり未来に飛ばされた学校の撮影は伊豆大島で行われた。赤茶けた岩石地は、独特な雰囲気を醸し出している。
さて、独特な雰囲気の「島」と言えば、パッと思いつくのが「宝島」だ。、ロバート・ルイス・スチーブンソンの冒険小説ではなく、雑誌の「宝島」である。
「宝島」は"うつりゆく"雑誌だ。今、書店で並ぶ「宝島」を見れば誰もがビジネス雑誌と認知するだろう。しかしだ。植草甚一が創刊・編集していた「ワンダーランド」が前身となっている「宝島」は、サブカルチャー〜エロ〜モノ系ビジネス〜ビジネス、そして発行間隔も週刊誌〜月刊誌まで、その時代その時代に形を変えてきている。
中でも、絶大なる支持を得たのは80年代の「宝島」ではないだろうか。特に80年代中〜後期の、ホコ天イカ天、ジャパニーズハードコア・パンク、ヒップホップ、ビジュアル系、テクノ、ナゴム・・・・・・、当時のアンダーグラウンドシーン(そしてそこから羽ばたくメジャーシーンまで)を牽引していた唯一無二のメジャー雑誌だったのかもしれない。
僕が、「宝島」に接したのは92〜93年くらいだったように思う。しかもリアルタイムに接していたのではなく、姉の部屋にあった数年前(90年前後)の「宝島」を引っ張りだしては読んでいた。「フリッパーズの連載があるわ」とかビビリながら・・・。
そして誌面から、無邪気で無鉄砲な『なんでもあり』感が溢れ出し、当時の僕は相当良いショックをくらった。93年ごろは、東京の音楽シーンを中心として、サブカルチャーが「○○系」と分化され始めていた。例えば、テクノ系パンク系・・・等。
僕がショックを受けた「宝島」は、その分化する直前の、萌芽期のカルチャーシーンをどっぷりとてんこ盛りにしていた、熱々の"ごった煮"雑誌だった。でも、周りを見回すと"ごった煮"はなく、あるのはカルチャーごとの"ムラ"だった。日本人の人間性から考えると、同じ趣向を持った"ムラ"はきわめて排他的だ。90年代の音楽を中心とした文化は、この"ムラ"化がひどくいびつに進んでいたように思う。

だから逆に、なんでもアリの90年代前後の「宝島」にすごく憧れていたんだ。