make no statement

音楽や映画、本などの感想や、日々思うことなどをゆるく。

ある衝動



血で滲みいきり立った男性器のようにムクムクと立ち上る一つの衝動がある。
それは新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・インターネット、といったメディアを断つ事である。
僕は喫煙者では、ない。だから勿論、禁煙というものをした事がない。大きな失恋の痛手、というのものを感じたことも、ない。依存したものから、離れる、という行為がこれまでの人生の中で無かったように思う。
そんな27年の歳月の中で、自分を喜ばしてきたのがメディア。映画、テレビ、そしてインターネット・・・。
僕はこれらメディア依存、ないしは中毒状態にある、といってもいいかもしれない。
この現状下でふと一つの考えがめぐったわけ。メディアから受ける情報のシャワーによって、僕を含めた人々が(喜び・楽しんでいる反面)、悲しい気分になったり怒ったりしている、と。
メディアのそのほとんどが、商をベースしている。そして金を生み出す道具として使われているのはノーダウト(間違いが無い)。そして金を出す人々(広告主/クライアントや消費者)に迎合したモノづくりが行われている。つまり情報操作だって、お金を出す人の利益になればやるって事(全てがそうとは言えないけど)。
そう偏屈に考えると、不愉快。
そして昨今の世界情勢・国内情勢(つまり報道)についてはネガティブ情報80%、ポジティブ情報10%、どうでもいい情報10%。そんな印象を受ける。これによってメディア影響下にいる人たちは、嫌な気分になる。「また小学生が殺された!」「あそこでテロが起きた!」なんてニュースで。

話は脱線したけども。
そんなメディア情報を一切遮断したい。依存したものから離れてみたい。そんな欲求がわきたっている。

メディアって絶対無くては困らない、ってものでもないでしょう?


(って、メディアから逃れられないのは分かっているけど。その矛盾で葛藤)