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格差社会における「男女論」


「日本総中流社会」というのはもはや幻想である。
NHKで今年4月にオンエアされた番組『どう思いますか格差社会』。番組オフィシャルページでも言及されているように、競争社会化した現代日本において「所得の不平等」が問題視されている。1980年代以降、右肩上がりにその不平等は続き、今後さらに状態に拍車が掛かるのでは、という指摘もされている。
さて、ではあなたのまわりではどうだろうか?
例えば会社。契約社員派遣社員・アルバイトという「低コスト」で「小リスク」の人材を積極的に登用してはいませんか?そこには正社員との賃金格差が確実に出てくるし、労働格差も出てくる。つまり、「金」や「社会的ステータス」を持つ者と持たざぬものの差が相容れぬ形で広がっているのだ。
続けざま仕事の話になるが、正社員雇用されないままキャリアと年齢を重ねていけば行くほど、正社員にはなるのは難しくなってくる。そうならないためには、なるべく早い段階で「我慢」と「忍耐」と「上昇志向」を兼ね備え、『社会の中で競争して勝っていく意識』が必要だ。
そんな今の日本社会では、やはりメイクマネーを実現させて六本木ヒルズに住むような「持つ者」がモテる。至極当然だ。モテる男に美しい女が寄っていく。これも至極当然である。だけど「非・美しい女」も「持つ者」に寄っていく。それも当然だろう。金も社会的ステータスもないオトコに寄っていくなんて女は、そんなにはいないだろう。誰だって経済的な充足感は求めるし、他の人よりちょっと良い環境にありたいと願う。
だがしかし、現実的には「持つ者」と「美しい女」が結ばれる。
「非・美しい女」は、諦めきれず「持つ者」を追いかけるが、「美しい女」にはかなわない。そして気付いたら結婚適齢期を越えている…。かといって「持たざぬ者」を受け入れるほどプライドが低いわけでもない。
一方、「持たざぬ者」はほとんどの女から相手にされず、仕事もウダツが上がらず、結婚適齢期を過ぎるが相手もいない…。
結局、ハイスペックな男と女だけ結びつき、それ以外の男女は「売れ残り」。そんな状況が都市部を中心に加速をつけて蔓延するだろう。
これに手を打つには、「地元を大切にすること」。これしかない!地元であれば、お互いの詳しいプロフィールも知っているし、メリット/デメリットを考えず行動していた素の自分を知っている。だからあんまり外見に関係なく「恋愛」にもっていくことができる筈。よくあるでしょう、学生時代に「顔は良くないけどスポーツできたからモテた男子」とか「小さくて愛嬌あるだけでモテた女子」とか。学生時代はやっぱりモテの基準が、プリミティブ。
だから、格差社会時代の男女を救うのは「同窓会」だっ!!

あ、ちなみに僕も、「持たざぬ者」側の人間ですがね…。
しかし上記の話、「格差社会」が進んでいくのは今の生活でもビシビシかんじていること。収入が少なくても一定額の税金はきちんと払わなくてはいけないしね。貧乏はさらに貧乏を強いられる社会になってきている。恐ろしいピラミッド社会化ですよ。