make no statement

音楽や映画、本などの感想や、日々思うことなどをゆるく。

あいつがおれで おれがあいつで

sassin012004-10-19

“この上映は10月22日まで”という案内を横目に劇場へ足を踏み入れた。公開が確か、8月中〜下旬くらいだから、そんなものか、と思いつつ、もうすぐ米国大統領選なのに終わっちゃうのか、と思いつつ、シートへ腰を下ろした。


華氏911』(監督:マイケル・ムーア)の話。


移動の合間に時間が合ったので、映画でも観ようかな、と思った中での選択で『華氏911』。日本においての評価は批評家や観た人の感想から、あまり良いものではない、という先入観を持っていた。だからどちらかというと、ネガティブ志向を持って観た。


改めて、矛盾だらけだと思い知った。世界も、アメリカも、日本も、自分も・・・。


眠さを伴わず、ムーアの顔を邪魔にならず、純粋に映像と日本語訳を食い入るように追った。僕はこの作品を、一つの意思・魂を持ったドキュメンタリー作品として、そしてエンタテインメントを併せ持った映画として、好意的に受け止めている。知的好奇心をくすぐられ、硬派な作品だと捉えた。しかしながらいまいち釈然としない、否定的ではないのだが、『華氏911』をすなわち肯定的に言い切ることを、心の奥の方がストップをかける。なぜ??それは劇中で、9・11後の混乱時にインタビューに答えている米国市民が言っていた、「誰も信じられない、知人でさえ」という言葉に隠されているのかもしれない。


権力(体制)とメディアから落とし込まれる巨大であまりに漠然として抽象的な不安。僕はこの作品を隅から隅まで信じることができない。それはメディアに関わった仕事をしてきて、恣意的に湾曲された報道はそこら中にあることが自分の頭の中に前提としてインプットされているからだ。


華氏911』そしてマイケル・ムーアを完全に信じることはできないが、大いに共感はしているのは事実。


そして作品を見終えて改めてこれだけは強く思う、『暴力で世界を変えるのではない、クリエイティブで世界を変える』。


※このテキストには逆接語が多すぎる・・・。自分の中にも矛盾が多い証拠だ。ほとほと呆れる。